芸術・芸能の民、アイヌ

アイヌ民族は、東北や北方領土、そして北海道に居住してきた先住民族です。

 

さまざまな民族がそうであるように、アイヌにも独特の文化や言葉、世界観があります。

北の厳しい環境で暮らしてきたアイヌたちは自然の中の動植物をはじめ、身近に使う道具や食器など、モノにもカムイ(神)が宿ると考えます。彼らにとってこのモノへの装飾は非常に大切なものでした。

まずは衣服の背中や襟、袖口、裾にとがった形の文様を刺繍してからだに悪いものが入らないようにします。身の回りの木製の道具には実に精緻な彫刻をほどこして、やはり、魔物が取りつかないようにと守ります。そのほかにも模様を織り込んだ美しいござ、身に着けるニンカリ(耳飾り)やレクトゥンペ(チョーカー)などのアクセサリー、儀式のときには女性はタマサイやシトキと呼ばれる首飾りをつけ、男性はサパンペと呼ばれる冠をかぶるなど、特に装いを凝らして臨みました。

魔除けであると同時にそれは美しさの追求でもあったでしょう。現在に受け継がれているアイヌの装飾は、世界中からその芸術性を評価され、さまざまな工芸品や一流ブランドのデザインにさえ影響を与え続けています。

 

また、アイヌの人々は日頃から歌や踊り、ふしをつけた神や英雄伝の語りを楽しむ習慣がありました。ムックリ(口琴)やトンコリ(琴)を奏で、手を打ち舞う姿は、素朴な動作ながら実に美しく、居合わせれば輪に加わりたくなるような楽しさがあります。

現在、北海道の白老や阿寒などの観光地でそれらは見たり聴いたりすることができますが、全国的にこの歌や踊りを伝承し、学ぶ人も少なくありません。

 

アイヌの人々に伝承されてきた芸術や芸能は、見る人に宇宙的な広がりや自然を感じさせるような、非常に価値のあるものといえます。

 

アイヌとカムイ

「アイヌ」とは、神を意味する「カムイ」に対して「人間」を表す言葉です。

カムイたちは天上のカムイ・モシリ(神々の大地)に住まい、熊やフクロウなどの動物の姿を借りて毛皮や肉をまとい、アイヌ・モシリ(人間の大地)にやってきます。アイヌたちは狩猟するために山に入るときは丁寧に礼を尽くして祈り、狩りをしてカムイを迎えて、そのおみやげの肉や毛皮、骨などを余すところなく大切に使いました。

山菜を採るときにも、決してその場の植物を採りつくさないよう気を使い、その植物のカムイに敬意を払います。

これらの行為は宗教であると同時に、生活の知恵でもあります。

厳しい環境で人々が集団で生き抜くために、大変理にかなったやり方で精神的にも物質的にも豊かな狩猟・採集を行って暮らしていたのです。

 

また、アペフチカムイと呼ばれる火の神をはじめとして、水の神、日の神、月の神などあらゆる自然現象も大切な信仰の対象でした。

自分たちの願いを伝えるために、ヌササンと呼ばれる神棚に木を削ったイナウ(木幣)を備え、酒をそそいでカムイノミ(お祈り)をします。一番大掛かりなおまつりは「イオマンテ」(熊送り)であり、大切に育てた子熊にたくさんの贈り物を持たせて神の国へ送り、「アイヌ・モシリ」は良いところだと神々に伝えてもらうのです。これにより、またたくさんのカムイがやってきてくれて、豊かな恩恵を受けられると考えました。

 

ただし、日本や西洋でいう神や仏が絶対的な力を持つ存在であることに対し、アイヌにとってのカムイは絶対神ではありません。

時に、しっかりと祈りの儀式をしたにもかかわらず事故があった場合など、「どうして守ってくれないのか」とカムイに抗議することさえあります。アイヌとカムイはお互いに敬いながらも持ちつ持たれつの対等な関係として存在しているのです。

 

アイヌ民族の歴史

ここで紹介したようなアイヌの文化がどこから始まっているか、ということについては様々な研究がなされていますが、13~16世紀頃ではないかといわれています。竪穴式住居から平地に家を建てるようになり、宗教儀礼が確立するなど、今知られているようなアイヌの生活様式が出来上がったと考えられる時期です。

その後もアイヌの生活は時代によってたくさんの文化と交流し、影響を受けて変化を続けてきました。

和人やロシア圏のほかの民族との交流によって金属やガラス玉、錦などの交易品を手に入れ、時代により身に着けるものも移り変わっていきました。

 

そんな風に、ほかの国や民族と交流やときに交戦をしながら続いてきたアイヌの生活ですが、明治に入って蝦夷地が「北海道」と改称され、大和民族(和人)の入植者の急激な増加と、政府によって「土人」とみなされたことが民族全体の運命を大きく変えました。

アイヌは名前や言葉を奪われ、入れ墨やニンカリ、狩猟などの習慣、熊送りなどの大切な儀式を禁止され、大和民族に同化するよう強制されたのです。

本州から持ち込まれた病によってアイヌ人口は激減し、さらにいわれのない差別を受け続けました。

アイヌ民族に対する同化政策、根強い差別、さらに、アイヌを学問の対象とした研究者たちがその墓から遺骨を持ち出し資料として扱い、今なおそれが完全に返還されていない、謝罪がなされないなど、現在にわたり人権にかかわる深刻な問題があることはまぎれもない事実なのです。

アイヌ文化の魅力や奥深さやその知恵は日本人である私たちにとっても非常に素晴らしく、ことに自然と共存する考え方など、これからの時代に生かすべき、学ぶべきことがたくさんあります。しかし、それらに感銘を受けるときには、この国がアイヌに対して行った歴史的なあやまちについても知る必要があります。