そんなこんなで、白老②(2017.6.21)

ここで少し、白老町のアイヌ民族博物館について説明しましょう。

「アイヌ民族博物館」は、「白老ポロトコタン(大きな湖の村、という意味)」とも呼ばれている、ポロト湖のほとりにある博物館です。

文字通りの「博物館」の周りにはチセ(茅葺の家)やプ(食糧庫)、ヘペレセッ(子熊の飼育檻)などが復元され、小さなコタン(村)のように展示されています。つまり、野外展示博物館でもあります。博物館にはアイヌ民族の資料が約5,000点、北方少数民族資料が約250点が収蔵されているそうです(Wikipediaより)。また、文化伝承・保存事業として伝統儀礼、伝統工芸のござ編み、アイヌ刺繍、木彫りなどの体験学習、ユーカラ(アイヌ神話の語り)を聴くイベントを行うなど、道内の中でもアイヌ文化の振興に大きく貢献している施設です。チセでは毎日アイヌの古式舞踊や唄の公演があり、アイヌ芸能を身近に見ることができます。

2020年には国営化することがが決定しており、「国立アイヌ民族博物館」となる予定で、今年度末にいったんそれまでの間閉館することになっています。(閉館中は旧白老町立社台小学校の校舎が拠点となります)

国営化についてはいろいろな意見や見解があるのですが、もともと非常に積極的に活動している施設であることは間違いなく、ここにくるとかなりの質量のアイヌ文化の知識に触れることができます。

 

私も、3年前にここに立ち寄ったことがきっかけで本格的にアイヌ文化について勉強を始めることになりました。

なぜって、ひとつにはとても、目が覚めるほどに面白かったからです。

「アイヌ文化」というと「日本の文化の中のひとつのパターン」と思っている人が割といるのですが、アイヌ文化というものは、言語・考え方・宗教観、どれをとっても日本のものとは全く違います。全くの異文化と言っていいほど違うのです。

 

たとえば、これ。

左からメノコクワ、オッカイクワ、と呼ぶのですが、実はお墓です(白老地方のもの)。

メノコクワは女性用の墓、オッカイクワは男性用の墓。それぞれ、針の頭の形と槍の形をしています。では、一番右端の、何も象っていない丸木。これも墓標なのですが、何故なにも装飾がないのかというと、これは「変死した者のためのクワ」だから、なのだそうです。

メノコクワとオッカイクワについては知っていたのですが、この日、博物館内で、

「あれ、どうしてこのクワはただの木なんだろう?」

と母や妹と話していたら、ガイドのおじさんが教えてくれました。

 

「クワっていうのはアイヌ語で【杖】のことなんです。アイヌは地面の下の地底深くに死者の国があると考えていたんですが、要するにそこへ旅をするための杖を墓標として埋葬したところに立てておくんですね。

じゃあどうしてこの変死者用のクワはこんな風に粗末なのかというと、普段からアイヌはカムイにいろんなお祈りをしますよね。事故にあいませんようにとか、病気になりませんように、守ってくださいと。

でも、それが聞き届けられないで事故にあって死ぬものもいる。そういった場合、アイヌたちはカムイに対して抗議をします。事故死したものの上にこの粗末なクワをたてて、カムイに『オンカミ(お祈り)したのに守ってくれなかった、だからこんな粗末なクワしかもらえなかったのだ』と訴えなさい、ということなんですね。」

 

へえー!って思いませんか。

ちなみに、アイヌの人々に「お墓参り」という概念はなく、埋葬したら二度とそこへは立ち入らないのが普通だったそうです(現在はもちろん、いろいろな信仰を持つ方がいますのでその限りではありません)。

 

こういった、目からうろこの考え方がアイヌ文化にはたくさんあります。

そして、その一つ一つがなんだか妙に人間くさいというか、なんとなく親しみが持てる感じがするんですよね。理路整然とはしていない、でも、理にかなっていたり、生活の知恵だったりする。そういうところが私はとても好きです。

たまたま、このとき博物館の順路を逆に回ってしまっていきなり「死」にかかわるところから入りましたが、全体的にこんなふうに「そんな考え方もあるのか!」といろんなポイントで思うわけです。冠婚葬祭、子ども、女性、男性、普段の生活、人間と神の概念。

その内容をいちいちご紹介したいくらい面白いのですが、それを書いていると白老だけで100記事書いても足りませんので、このへんで。

アイヌ文化の面白さについては、これからも気が付いたことなどいろいろ書いていこうと思っています。

 

アイヌ民族博物館収蔵の美しい衣装や、貴重なアクセサリーの数々を、一部ですがどうぞご覧ください。

まだまだ続く。